昔から不思議だったことに、「よく似た双子とか年子のきょうだいとか、なんでわざわざ同じ格好させて、更に見分けつきにくくさせるんだろう?」というのがある。よく見ますよね、そっくり同じ格好させてる双子とか。「ただでさえ似てるんだから、見分けられるように違う格好させればいいじゃん」と思っていたが、自分が2児の親になってみて謎が解けた。同じものを持たせないとケンカするのだ。ヘタに違うものを持たせると、やれどっちが良いだのあっちと変えろだの、子供どうしが競争心で取り合って収拾がつかないから、最初から同じものにするのではなかろうか。少なくともウチはその罠にはまったため、フォークやコップは同じものを2つ揃えるはめになった。
しかしそんなつねぞうにも最近異変が起き始めた。あきぞうとお揃いで使っていた「しんかんせん」のコップ(プラスチック製)を指して、「わたしお姉ちゃんだから、もうコレ使わないわ。落ちたら割れるやつ(陶器)に変えてちょうだい」と堂々と言ってきた。更には、今まで夜だけ厚手のパンツを履いていたのに、「もうお姉ちゃんだから使わない。あきくんにあげるわ」と宣言。保育園でも年長さんのお別れ会が済んだところで、今度はいよいよ自分が年長さんだという自覚が促した変化だろうか・・・頼もしいような寂しいような複雑な気分だが、とりあえずプラコップの代わりに選んだものがなぜ「桃太郎印の湯のみ」なのかは問いただしたいところ。湯飲みに牛乳注ぐのって、めっちゃ違和感があります。